占星術にまつわる歴史  
     

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起源は定かではないが、紀元前5000年以上前のシュメール王国にまつわる伝説が綴られた「ギルガメッシュ叙事詩」に神話の形として惑星や星座にまつわる記述が認められている。

約5千年前、紀元前3000年頃、メソポタニア地方でバビロニア王国が誕生。中でもカルデア人と呼ばれる種族は天文学、数学、医学などの高度な学問に通じていた。またそれらの学問は占星術と深く関連していると考えられた。古代バビロニアがアッシリアに滅ぼされて、ペルシア、エジプト、ギリシア、ユダヤに渡ったカルデア人が各国に占星術を伝えたと言われている。

エジプトには独特の占星術が存在していたが、後にバビロニアの方法が主流となっていった。ギリシアに渡った占星術はさらに多彩な方向で主に哲学者の間で研究され、理論づけられた。インドでも紀元前1500年頃に書かれた叙事詩「リグ・ベーダ」にも占星術的記述がある。

プトレマイオス王朝最後の女王クレオパトラの死によってアレキサンドリアが崩壊。ギリシアは完全にローマの支配下におかれ、ヘレニズム文化も衰退。ローマ時代、プトレマイオス王家の末裔、地質学者で天文学者でもあったプトレマイオスが最初の天文地図「アルマゲスト」や投影法を用いた世界地図「コスモグラフィア」を完成させる。その後アストロロジーの教科書「テトラビブロス」を編集。星座、惑星の意味、座相や宮(ハウス)の説明は現在主流の占星術の基本となっている。その他マニリウスの「アストロノミコン」、マテルヌスの「マテシス」などが代表作。

その後のローマ時代は暗黒時代といわれる。ローマ・カトリック教会により、占星術は弾圧される。ただカトリック教会の影響外にあったイスラム教のアラブ圏ではエジプトやギリシアで発達した占星学は受け継がれ、実用的な形で使用されていた。(アラビック・パーツなど)

ルネサンス期に占星術は再生した。13世紀のイタリアのスコラ哲学の権威で「神学大全」の著者であるトマス・アクィナスは「星は勧誘するが、強制はしない」という言葉で占星術のありかたを語る。

イギリスのロジャー。ベーコンは今日のエフェメリス(天文暦)の原型を作った。

15世紀、コペルニクスが地動説を発表。天文学者で占星術師でもあったティコ・ブラーエが証明法を探し、その弟子のケプラーが実際に証明。

16世紀、フランス、医師であり王宮に仕える占星術師であったノストラダムスは預言者として、イギリスのエリザベス一世の顧問占星術師ジョン・ディーなどが有名。
17世紀、ガリレオ登場などで天文学と占星術が分離し始める。デカルトやニュートンなどは占星術を指示する側にまわる。

18〜19世紀、科学万能の時代とも言ってよく、占星術は迷信という位置づけになる。
19世紀末、占星術を含め占いなどオカルトへの関心が復興。

20世紀から今日、専門家による研究が進み、調波占星学など新しい分野の占術に発展。

     


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